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Interview
vol.1

​泉志谷忠和

文化プロデューサー

​YHIAISM株式会社代表取締役

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どんな人?

慶應義塾大学SFCを卒業後、プロデューサー修行を経て、2014年には国際的にも認知度を持つゲーム音楽のプロオーケストラ「JAGMO」を創設。昨年2021年には、コロナ禍中、文化芸術経済発展を目指すイノベーションファーム「YHIAISM (イア・イズム) 」を創設。文化芸術経営のリーダーシップ支援のプログラムを国際的に展開、世界配信のオペラ公演や歌曲公演プロデュース等、多岐に渡る文化活動を行う。

HP: https://www.yhiaism.co.jp/

twitter: https://twitter.com/yhiaism

経営者とプロデューサーの視点、更には文化政策への関心も強く、独自の切り口と熱い想いを持つ。これからの音楽業界や日本文化の発展を牽引していかれるに違いない。

 

中編では、泉志谷さんがプロデューサー業を知るために川添象郎さんの下で丁稚奉公を行ったこと、その時に学んだこと、プロデューサーとは何であると考えられたのか、そしてプロデューサーとしての初仕事であったJAGMOでの活動についてをお伺いしました。

 

 

──JAGMOを退任されてすぐにYHIAISM(イア・イズム)を始めたのでしょうか?

いえ、3年ほど勉強の期間をとりました。その頃は、漠然と「文化芸術全般に貢献しなければ」という気持ちだけがありました。日本の文化芸術のレベルが落ちているという話を目上の方から聞くことが多く、危機意識が芽生えていたからです。もちろん、それは単純な従事者のみの問題だけではなく、政策や法律等を含む、社会の制度としての問題や環境要因が関係しているように感じていました。同時に、「文化芸術とは何か」という難問に立ち向かわなければ、先に進めないとも思っていました。対象の理解が不十分なまま突き進んでも、失礼を働くだけかもしれないですから。

 

大学時代は実学ばかりを学んだので、人文科学を中心に、腰を据えて「文化芸術とは何か」を勉強する時期にすると決めました。それから、およそ3年間、ほとんど外に出ていなかったですね。言葉の通り「引きこもり」の期間です。

取材日:2022年6月18日

 ──3年間の「引きこもり」とは、すごい転換ですね……。
その期間は、具体的にどのようなことを勉強されたのでしょうか?

 

西洋哲学を、プラトン、アリストテレス……と、順に読んでいく、とか、日本文学を、古事記、日本書紀……と、現代に至るまで読むとか。とにかく、我武者羅に読書です。しかし、様々な文献を読みあさっても「文化芸術」普遍的な定義はやっぱり見当たりません。

日毎、「文化芸術の正体とは何か」と躍起になっていきました。たまに外出するも、神保町の古書街に行って関連書籍を探すか、食材を買って帰る生活。寝ても覚めても「文化芸術とは?」でしたね。

働きざかりの29歳からの3年間がそんな調子でしたから、友人たちは「いよいよおかしくなったか」と心配して、時々様子を見に来てくれました(笑)ただ、いくつか「引きこもり」の産物もありましたね。外に出ないので、全く興味のなかった料理が上達したとか。

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当時の泉志谷氏の書斎

朝起きて本を読み、考えをまとめ、お腹が減れば自炊し、また本を読んで、考えをまとめ、体力の限りものを考え続ける生活で、ほぼ人には会っていませんでした。今思うと、同じ自分ではないような気がするくらい、特殊な生活をしていました。

 

そんな迷宮をさまよっていた時、救いの手を差し伸べてくださったのが、東京大学名誉教授の原島博先生でした。原島先生の助けがなければ、今も途方にくれていたかもしません。そもそも、「文化芸術とは何か」というのは、一人で立ち向かうにはあまりに無謀な問いです。

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原島博氏 (公式HP)

──確か、原島先生は工学部の先生でいらっしゃいますよね。

そうなんです。彼の私塾であるHC塾で「文化芸術」の正体を考えるに、自然科学が有用かもしれないという気づきを経て、湯川秀樹の「物質から精神への路、これが自然科学が現に辿りつつある路である」という言葉を思い出しました。例えば「音楽とは何か」を科学的に考えれば「音波」や「震え」です。では、それと同等の「音波」を、人間ではなくロボットが出せば、同じ「音楽」になるのかと考えると、やはり、そうではないと感じます。

 

そこには、現在の科学で言われる物理現象以外の何かがある気がしてならない。もしかすると、現代の科学が未だ検知できていない、湯川秀樹が言う、目には見えない「精神」たるものが存在するのではないか、と仮説を立てました。


ではその「精神」とは何か。ヒントとなったのが生物学者、リチャード・ドーキンスが書いた《利己的な遺伝子》でした。「遺伝子」と聞けば、多くの人は、体内にある、我々の情報を記録した一部分である考えます。本書では、むしろ「遺伝子」が本体であって、身体はその入れ物、「外壁」であると言うのです。つまり「遺伝子」の生存こそが、我々の意思決定の源泉である、という考えです。

──《利己的な遺伝子》は名著ですね。では、文化と遺伝子はどのような関係なのでしょうか?

本書には、文化にも「遺伝子」があり、それを「文化遺伝子」、「ミーム(meme)」と呼ぶとされています。もしかすると、これが「精神」に準ずるものかもしれないと思いました。ドーキンス曰く、「対話」することも一種の「ミーム」の交換であると言います。「対話」の「外壁」とは、喋っている声、つまり音波です。対話の「外壁」を強化しようとした時、それを書き起こして記録し「文章」にすることは有用です。生存時間を長くでき、生存可能性を高めることに繋がるからです。

 

より生存可能性を高めるためには、「ミーム」を「記録」し、多くの人に「伝搬」することも大切です。「記事」としてネットに公開するとか、「出版」することも「記録」「伝搬」にあたります。そうしておけば、仮に原本の文章を消失しても「ミーム」は生き残りますから。

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『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス著(amazon)

──文化遺伝子やミームという概念を初めて知りました。もしよければ、具体的な事例をお教えいただけますでしょうか?

例えば、音楽にしてみれば、作曲家の思想をもとに「作曲」し、「楽譜」にすること、「出版」すること、それをコンサートで「演奏」すること、「録音」すること等の多様な媒体展開によって「ミーム」の生存可能性を高めることができると言えます。各媒体に、もととなる作曲家の思想が存在するからです。


その「ミーム」を享受する人や、支援する人、経済的対価を支払う人が出てくることにより、その創造者たる文化芸術従事者自身の社会生活が守られます。そうすると、彼らは新たに「ミーム」を作品にすることが出来ますよね。稀に例外はあるものの、彼らの生活基盤が守られることにより、文化芸術に注力可能な環境となって、「ミーム」を作品化し、強固な外壁を持つ文化芸術を生み出しやすい状況となります。

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YHIAISMで使用されている文化遺伝子「ミーム」の説明資料 (c)YHIAISM

──確かに、経済的対価は社会生活をおくる上で大切ですね。環境以外に、強固な外壁を持つ文化芸術に必要なことはありますか?

「ミーム」を実社会に表出させるためには「技術」が必要です。それは、音楽のみならず、あらゆる文化で共通の構造です。「精神」としての「ミーム」は、身体を媒介とする「技術」が合わさることで、外壁を持ち、実社会に表出します。もし頭の中で素晴らしい音楽が鳴っていても、それを演奏する「技術」がないと、その音は実社会に存在し得ません。​あらゆる文化芸術は「技術」の習得を必要とします。そして、その「ミーム」が人類に必要であればあるほど、そして外壁の強度が高ければ高いほど、享受の拡散があればあるほど、「生存可能性」を高めることが出来ます。

「ミーム」の循環を眺めていたら、高校生の頃に感じた違和感、文化芸術にある血栓症の正体が何となく見えてきました。典型的な資本主義の弊害かもしれませんが、「ミーム」を金儲けのために利用しようとすると、その循環のバランスが崩れ、血栓症のような状態が起きるのではないか、と考えています。

 

つまり、ビジネスのための文化芸術ではなく、文化芸術の循環を助けるためのビジネスであるべきなんです。例えば、金儲けをするために音楽コンサートをするならば、利益を出すために経費を削りますよね。演奏家の報酬が低くなったり、リハーサルの時間を削ったり、良いホールは高いからと、音楽的に良いとは言えない会場も選択肢に入ります。金儲けのために文化芸術の循環を阻害してしまう、そんなもの、誰のためにもなりません。

先程申し上げた通り、文化芸術には高度な「技術」が必要です。高度な「技術」を習得するためには、多大な時間、そして経済及び文化的投資が必要です。そしてそれを習得する人間に天賦の才能があって初めてその可能性が拓きます。大変稀有なものなんです。そういった投資が可能な環境を守り、尊重していくことが大切だと思います。

 

彼らによって、風土やアイデンティティ、思想が、作品として結晶化していく。文化芸術の歴史を眺めれば、その必要性は言うまでもないでしょう。

 

これは、文化芸術に限らず、あらゆる社会生活に関係のあることです。ビジネスのために存在する人間となると、様々な問題が起きますよね。本来は、人間のためのビジネスであるはずです。やはり、ビジネスのために存在する文化芸術というのは、非常に不健康な状態です。

 

ですので、「人間」や「文化芸術」の生存のため「経営」を活かすということが、特に、文化芸術経営に携わる上で必要な姿勢だと思っています。したがって、文化を維持するために経費を削る、ではなく、その必要性を説き、新たな活路を見出す、という姿勢が重要ですね。


あと、これはやや突飛な考えですが「生存可能性」という言葉を使う以上、「文化芸術」は、生物と似た「生命」を宿しているのではないかと考えることがあります。例えば、川端康成の小説作品《眠れる美女》は、1961年、川端が62歳の頃に書かれた作品です。もちろん、川端は既に亡くなっていて、話すことは出来ません。しかし、作品を読むことで、彼の思想や精神、つまり「ミーム」を、高密度で享受することが出来ます。

 

つまり、文化芸術の作品を残すことで、その創造者の「ミーム」は、身体的寿命を超え、社会に生き続けることが出来ます。「精神」が「身体」の限界を超えていくわけです。それは、人類にとって、文化芸術の存在意義の重要な一つなのではないかと思います。

──そういった考察に至るまでには大変な時間が必要かと思います。3年間の「引きこもり」とおっしゃっていましたが、そこからまた社会活動を始められるにはどういう心境の変化があったのでしょうか。

来る日も来る日もミームだとか、精神だとか、そんなことを考えていますとね、人によっては経験のあることでしょうが、心が形而上に住み着いて、形而下に戻ることができなくなってきます。つまり、社会的な生活なんて、どうでも良くなってきてしまうんです(笑)実際、その頃の自分は、経済活動への関心もほとんどなくなってしまっていました。引きこもり生活もフロー状態のような感覚で、とても充実していました。ですが、ある日友人と話していた時に、このまま社会に戻れなくなるとやるべきことが出来なくなるな、それは困る、と、ふと冷静になって、我に返ったのがきっかけです。

 

「大きく間違えないための荒いコンパスくらいは持てたのではないか」という思いもありましたし「現場に出ないことには次の段階は見えにくいかも知れない」という思いもありました。まだまだ勉強したいことはあり「文化進化論」や「文化と神経の関係」が最近気になるトピックですが、ひとまず実地で経験を積みつつ、座学集中はまた数年後、と切り替えをすることにしました。

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ということで、3年間、ほぼ外に出ず、人と会っていませんでしたから、体力や会話力が驚くほどに落ちていました。部屋の外に出るのも勇気がいる。電車移動だけで息切れがする。文章は書けるけれど、喋りに変換できない。極度の人見知りにもなっていました。社会復帰のリハビリが必要だと感じましたね。

 

ひとまず、勤め人になって社会生活の感覚を取り戻そうと思いました。せっかくでしたら数字を扱うことの多いビジネス世界にしようと、世界四大会計事務所にあたるデロイト トーマツ グループに入社しました。​「トーマツ」という名称が、日本の会計士、等松農夫蔵(とうまつ のぶぞう)の名に由来したところにも惹かれましたね。

 

引きこもりから一転して、週5日、強制的に外に出て人と会い、朝から晩まで仕事をすることになりました。いわゆる経営コンサルタントというのはなかなかの業務量ですので、荒療治でしたが徐々に社会性を取り戻していきました。さすがに最初の数ヶ月は、土日は寝込んでしまっていましたが……。

──体力の問題は深刻ですよね...。就職したことで変わったことはありますか?

省庁との取引が多いファームですので、文化政策について考える機会が増えましたね。上司も良い方で、恵まれた環境で、自由にさせていただきました。マッキンゼーのインターンを思い出したり、大学時代の学びが生き返ったように活用できました。

 

そうこうしている内に、2020年には世界的なパンデミックで大変な混乱が起きました。文化芸術に従事する友人たちが苦境に立たされ、彼らを取り巻く制度の不十分さを痛感しました。日々、全世界の文化芸術分野の動きを観察し、産学官民全体の状況を分析しつつ「何とかしなければ」と、奮い立ちましたね。複雑な課題ですから、どうするべきか、と情報を得ながら考え続けました。


コロナ禍における日本の文化芸術への対応の違和感は話題となりました。その理由を考えてもいました。日本は、世界的に見ても稀有な高度経済成長が1955年から1973年までありました。更に、バブルも1986年から1991年にかけて起きた。その頃の文化芸術といえば、そもそも国の経済が異常な盛り上がりでしたから、公的サポートがなくとも発展し得る豊かさがありました。しかし、経済が定常する現代ではそうもいきません。そういった時代のギャップ、環境要因が、対応の違和感に影響しているように思います。

──文化の公的サポートというのは、日本ではどういう状況なのでしょうか?

文化庁の予算は1,050億円前後で、およそ20年据え置きです。そして、文化に関わる省庁が横断的なのも特徴です。主たるところは文部科学省の外局の文化庁、観光は国土交通省の外局の観光庁、伝統工芸は経済産業省管轄で、国際的な文化交流は主に外務省が担っている。しかし、文化発展のためには、包括的な政策推進が必要ではないかとも考えました。

 

文化芸術を扱う上で、短期的な経済リターンを第一目的としては、文化を消費し続け、本質的な価値を損なう恐れがあるのではないか、という危機感もあります。それは結果的に自国の文化資源を痛めてしまい、長期的には、大きな経済的損失を被ってしまう恐れもあるでしょう。したがって、文化政策や文化事業というものは、経済指標とは別の、新たな評価指標が必要であると思います。前述のミームをはじめ、自然科学がそれを助けるように予感します。文化の定量化し難い価値や可能性を、いかに文化芸術領域外の人が理解できるよう翻訳するのかが、今後、重要な課題です。


周囲を見渡せば、ヨーロッパ圏や、隣国である韓国の文化政策の成功は、目を張るものがあります。文化芸術従事者の福祉政策もスコープに入れた、厚生労働省の管轄要素も含む、「庁」ではなく「省」として、文化芸術省の必要性も考えます。そのうち、そんな議論を仲間内ですることが増えていきました。

──パンデミックにより文化芸術に従事する人たちが大変な苦境に立たされましたものね。
それを受けて、泉志谷さんはどうされたのでしょうか?

 

感染症も長引き、もはや考えているだけではいけないと思い至り、先ずは民間から動きを出していこうと立ち上げたのが現在の会社「YHIAISM(イア・イズム)」です。デロイトを退職し、2021年の1月に立ち上げました。文化芸術と経済経営を融和させる、あらゆる文化領域を対象としたイノベーションファームです。​民間における文化芸術経営技術向上をひとつの重要なミッションとして掲げています。

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泉志谷氏とCIL 受賞者のミッシングリンク代表の甲賀ゆうこ氏、

伝統工芸領域を担う塚原大氏

まだ二期目ですが「YHIAISM」では幾つかの事業を扱っています。1つ目が文化芸術経営を担うリーダーシップを支援するプログラム「Cultural Innovation Leadership(CIL)」です。昨年は、日本マイクロソフトから協賛をいただき、7カ国より20名以上の採択者を支援しました。文化領域も伝統工芸、演劇、クラシック音楽、伝統芸能等、垣根はありません。元文化庁長官の近藤誠一さんに顧問としてご参画頂き、ご指導を頂きながら進めています。

 

2つ目が文化芸術領域の戦略コンサルティングです。経営戦略をもとに、ブランディング、マーケティング、人事等、複合的なアプローチを組み立て、文化芸術を主体とするサービスを提供しています。スタートアップ、中小企業、上場企業まで幅広いクライアントに対応しています。文化貢献と収益改善の両立を目指すコンサルティングサービスです。


3つ目が文化芸術のプロデュース事業です。挑戦的かつ国際的可能性を有する文化分野のプロデュースを行い、その事業化を目指します。昨年2021年12月には世界初のゲーム音楽のオペラ「Opera Dots(オペラドット)」を立ち上げ《幻想郷への組曲》を企画・制作しました。

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Opera Dots 《幻想郷への組曲》集合写真

もともと「YHIAISM」を始めた頃は、プロデュースには注力をしない予定でした。ファームとして、現場よりも、戦略や経営、政策分析に注力するべきだと考えていたからです。ですが昨年、文化庁の補助金をいただけたことを機会に、オペラの企画・制作を行うことになりました。私にとって実に5年ぶりの音楽現場でした。

 

その時に、自分の発想がいかに机上の空論と化していたかに気が付きました。現場では、予想できない様々な問題が生じます。情報量も段違いです。そんな中、チームで良いものを作ろうと一心不乱になる感覚というのは、報告書や本を読むだけでは到底理解できません。


聴衆の皆さんの拍手の音に胸を打たれるということも、手を動かし、心身を削らなければ得られない体験です。そうした感覚をなくしては、現場のためにならないことをしてしまうと反省しましたね。現場と制度のバランスは、最近の自分の中で最も重要なことですね。ただ、現場で何かをつくるということは、相当な体力と気力が入りますので、自分の心身とのバランスも重要だ、というのが最近の気づきでもあります。オペラ公演のあとは、心のエネルギーがなくなったように、ほとんど動けなくなり、回復期が必要となりました。

──もともと現場におられた泉志谷さんでもそう思われるのでしたら、一層バランスを保つことの難易度の高さを感じます。

最後に、最新の公演である《いろはにほへと弦楽四重歌曲集》にはどのような思いが込められていたのかをお伺いさせて下さい。

今夏制作した《いろはにほへと弦楽四重歌曲集》は、オペラ公演でご一緒したメゾソプラノの山下裕賀さん、作曲家の松﨑国生さんらとの議論から生まれたものです。現代の子どもたちが日本の伝承遊びをあまり知らないと聞き、その文化遺伝子保存に貢献したいと思ったことが始まりです。

 

詩も前回のオペラ公演同様、川宮史紀仁さんです。「はないちもんめ」「あんたがたどこさ」「丸竹夷」「鬼ごっこ」「だるまさんがころんだ」といった様々な伝承遊びをモチーフに、自然科学の要素を取り入れた新作詩《素粒子の声》が原作となりました。

 

詩の段階において重要視したことは「千載具眼の徒を竢つ」というコンセプトです。日本画家である伊藤若冲を語った言葉ですが、1000年先まで、新たな解釈が持たれるような普遍性と大局性を持たせる意図があります。


第三曲《この世とはなにか?》では、京都の通り歌「丸竹夷」を題材としていますが、同時に「十条」になぞらえて、1から11次元の描写を試みています。物理学の理論仮説である「超弦理論」を元にした発想です。一見、単調な数え歌に見せながら、自然科学の要素をかけ合わせる仕掛けが随所に散りばめられています。「現代ならではの科学の智を用いて、過去知られざる次元の視座より書く」というのが川宮さんの考えで、私も共感しています。

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《いろはにほへと弦楽四重歌曲集》集合写真 撮影 平舘平

前述の作曲の松﨑さん、メゾソプラノの山下さんはもちろんのこと、ヴァイオリンの石上真由子さん、對馬佳祐さん、ヴィオラの安達真理さん、チェロの富岡廉太郎さんと、素晴らしい演奏家の皆さんとご縁があり、素晴らしい演奏が披露され、意義ある公演となりました。内容は是非、ぶらあぼさんに掲載されている公演記事をご覧下さい。

伝承遊びやわらべ歌を題材にした新時代の名作「いろはにほへと弦楽四重歌曲集」が誕生!

音楽については、聴いていただくのが一番かと思いますので、公演の一部を映像で公開しました。ご興味ある方は是非ご覧下さい。

これからは、大きく「文化芸術」に関心を持ってしまったのが運の尽きだと思い、長く、人生のすべてを使い、極めて微力ですが自分のできることを続けていこうと思います

前編・中編・後編を通して、泉志谷さんの幼少期から、プロデューサーを志した理由、プロデューサーになるまで、そしてプロデューサーとしての活動までをお伺いしてきました。

泉志谷さんのお考えの深さ、求めるものに全力でアプローチし続けるお姿がとても心に残りました。

​貴重なお話しをありがとうございました。

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